この記事はおよそ 11分39秒で読めます。
今より豊かな生活を望むなら、多少のことは我慢、と思っている人は多いかもしれません。
コツコツと働く。少しずつ貯める。何度も投資に資金投下する。こうした作業は、ある意味単調です。
どの作業をとっても、一筋縄ではうまくいきません。
もっと楽に働けたら、もっとうまく貯められたら、と考える中で、アクシデントに出くわしたりして、予定が狂ってしまうことだってあります。
それを修正して、解決策を考えたり、よりよく稼ぎを生み出せる作戦を考えたり。
投資に限らず、稼ぎに懸命に向き合う人は、そんなことのくり返しでしょう。
頭の中が寝ても覚めても、自分の事業や投資のことばかりになって、どんどんストイックになっていく人もいるかも知れませんね。
周りとの交流を遮断し、どんどん孤独になっていく、孤独を感じていく、ということもあるかも知れません
目次
孤独を恐れない。お金を増やすための投資マインド3カ条
何かを成し遂げるために、孤独にならざるを得ない期間が数年くらいあることは、長い人生なら1度や2度くらいあると思います。
投資家は、基本孤独なものだと思います。生まれつき投資家が身近にいる人(親が投資家だった、など)でないかぎり、投資のイロハを教えてくれる人などいないです。
投資について語り合うひとすら、探すのは難しいかも知れません。なにしろ、ほとんどの人が投資はギャンブルの類いだと思って疑いませんし、自分の子供がそんな将来を考えているなら、止める親だっているくらいです。
あまり理解されている職業とも思えません。
しかしながら、投資家としてひと財産を築いた「資産家」なら話は180度変わってきます。会ったこともないのに、ご近所の評判もうなぎ上りとなっていきます。
しかしながら、その資産家が、どのようにして財を築いたか、については、意外にも日本人は興味を示しません。出来上がりの華々しいシーンだけを見て、人となりまで判断されてしまうのです。
そうなるまでは、投資家はとにかく孤独です。同期もいなければ、得意先もなし。少ない可能性があるとすれば、ごくたまにいく投資セミナーで気の合う知り合いができれば運のいい方かも知れません。
ひたすら情報収集や学習と実践あるのみです。
会社内で副業で投資している人も、これまた孤独です。職場の中に、自分以外で投資を本気で取り組んでいる人など、そうそういることはありません。
仕事の話はできても、どんな投資を選ぶべきか、何に投資すべきか、いくら買うべきか、などについては、何もまともに相談できないことが多いのではないでしょうか。
しかも、家族からも、何をやっているのか理解されず、とうとうお父さんはギャンブルまがいの生活に手を染め始めた、と煙たがられることすらあります。
そんな状態にありながらも、コツコツと蓄財を続け、乾坤一擲とも言える配当が、複利で大きく膨らむまで再投資を続けていく、、。もしくは成功を夢見てトレードを繰り返す、、、。孤独です。大変に孤独。
ですが、このくらい変人的な生活があってこそ、巨大なリターンを総取りできるのもまた投資です。
今回は、豊かな生活に行き着くまで、孤独を感じながらも、長い間投資と付き合って行くために、3つのマインドを提案します。
こんな気持ちで投資に向き合うと、やめたくなったり、諦めたりする気持ちをと寄り添いながらも、豊かなゴールに向けて努力を続けられると思います。
マインドを整理し、一緒に頑張っていきませんか。
1.人生で選ぶ道はもともと一人
せっかく思い立ってはじめたものの、相談相手がいなかったり、気持ちを同じくする仲間がいなかったりするのが投資の世界です。
下手に相談すれば、相手からやめることを強く薦められる羽目になったりもします。また、理解しているように話は聞くけど、本人は共感しているだけでまったく投資に興味がなかったり。
もっと悪いパターンだと、投資をかじっているけど、まったくリターンが出ていない人から、ああでもない、こうでもないと無駄な情報を何度も共有することになったりもします。
さらには、相談に乗るふりをして、へんな投資をすすめてきたり、一緒に入会しようと薦めてくる者も、、、
本当にこの世界は、玉石混交、魑魅魍魎の世界だと思います。
これだ、と思える銘柄、これこそ、と思える投資商品が、結局数銘柄に絞られるのと同じく、投資に関して話題を共有できる人は、かなり絞られてくることになります。
投資商品を選ぶのが自己責任であるように、投資家としての道もまた、自己責任の道です。
今すぐ辞めることもできます。辞表を書く必要もありません。
何の仕事をするにしても、周りがどう言おうと、結局決めるのは自分自身だったりもします。
人生の選択や決定そのものが、自分一人で決めるものです。誰に薦められるものでも、決められるものでもありません。
江戸時代や明治時代でもなく、令和です。身分の決まりもありません。親や上司に人生を決められる時代でもなくなりました。
孤独すらも、選べます。ですがこの道は、必ずしも悪い意味ではありません。描いた目標に向かって、周りに流されず、自分自身で学びながら極めていくなら、それは孤高とも呼べる姿です。
もともと、人生そのものが一人舞台なのですから、自信を持って孤高を選ぶのも、ひたむきな人生の送り方と言えるのではないでしょうか。
2.成功者は大抵孤独
お金持ち、資産家、事業家は、たくさんの人にいつも囲まれ、それは派手な暮らしに見えますが、そのほとんどがビジネスの付き合いで、意外にも孤独ということは多いです。
ややブームとはなってきたものの、いまだに投資家や起業家として生きていく、というのは日本ではまだまだマイナーです。
資産家は、そのマイナーな人生選択の中で、しぶとく勝ち抜いてきた人達ですので、世間一般とは考え方が一味も二味も違います。
多くの場面で思考が逆張りであったり、取り掛かりのスピードが恐ろしく早かったりします。
結果として、どうしても世間ズレを起こしてしまうので、孤独になりがちです。
名だたる投資家も、孤独との付き合いについては、著者やインタビューの中で、多くを語っています。それだけ成功した投資家達が孤独と付き合ってきた証拠だと言えるのでしょう。
【人のいく裏に道あり花の山】
これほど投資で語られる言葉もないと思います。
たんに逆張りしろ、ということではありません。成功した投資家たちには、大衆のトレンドとは別の道がはっきりと見えているんだと思います。そのトレンドの裏の道から、花の山に抜けていくのです。
それだけ、学習と経験、失敗や苦労を積み重ねている、ということでしょうか。
3.求める豊かさを手に入れれば、また賑やかになる
ならば一生孤独でいろ、ということか、といえば、そういうわけでもありません。
陶芸家が、目指す作品を完成させるまでに、山にこもって創作するようなものです。
投資家も、目指す金額(人によって目標は様々だとは思いますが)を稼ぎ出せる資質を磨き上げるまで、コツコツと学習や再投資を繰り返す、ということだと思います。
これは短期ならトレードが身につくまで、長期なら複利効果が増えるまでです。どちらも長期間がかかります。ともに生活費を大きく上回るまでは誰も安心できないでしょう。
少なくともそのくらいまで行くまでは、ひたすら孤独です。むしろ孤独こそが友達と言うべきかもしれません。
なーんだ。じゃあ全く人生楽しくないね。と言われそうですが、目指す豊かさが手に入れば、いつでも周りには人が来ます。
ましてや、投資家としての一財を築いた人であれば、自然と同じ境遇にいた人達に囲まれることになります。
昔の友達も、理解ある人達なら、10年全く連絡しなくても、分かり合えます。
そうした人々を周りに迎え、賑やかにしていけば、豊かな資産と、より豊かな人間関係で、より楽しい人生が送れそうです。
まとめ 孤独を恐れずに、学びを続けよう
ここまでの話をまとめてみます。
1.人生で選ぶ道はもともと一人
結局、人生は自分のものなのですから、結局もとをただせば一人なのです。孤独を感じようが感じまいが、人間には孤独がついて回ることを理解するべきです。
2.成功者は大抵孤独
成功者は、意外にも孤独です。多くの人のトレンドとは全く別の考え方を突き詰めているので、世間ズレしてしまうのです。ですが、それは一歩先や、成功への逆張りをしているからこそでもあります。
3.求める豊かさを手に入れれば、また賑やかになる
一生孤独では、人生もさみしいものになってしまいますが、孤独とともに、求める豊かさを手に入れられれば、また周りは賑やかになってきます。それは以前の賑やかさとはまたひと味違い、経済的にも人間的にも豊かさを兼ね備えた賑やかさになっているはずです。
投資家は、楽だと思って始めた人にとっては、騙された!と思うような内容かもしれません。
孤独と付き合え。といってるわけですからね。
ですが、無理に孤独になれ、ということではありません。真剣に投資に向き合うと、何故か孤独になってしまう、孤独を感じてしまう。ということなら、それを恐れることはない。ということを伝えたかったのです。
まどろっこしいことを書いてしまいましたが、孤独になっているとしたら、それこそ集中していい経験や学びを得ている証拠だと言えるのではないでしょうか。
投資家の成長曲線は二次関数のようなカーブになると思います。それはでは低空飛行が続きますので、人生の中で、金銭的にも、人間関係的にも辛さを感じる曲面があるかも知れません。
だからこそ、低空飛行を抜けた後には、大きな総取りがあると思っています。僕もまだ納得いくリターンは得られていませんが、いまの自分の行動の先に、そのようなリターンがあることだけは分かっています。
そう思ったら、むしろ孤独であることは、楽しいことのように思えてくることすらあります。
孤独とヘルニアは、僕にとっは奥さんのように、一生共に生きていくものといえるかもしれません。(^_^;)
ひたすら、花の山に向かって、孤独とともに積み重ねを続けていきたいと思っています。