マスク問題に端を発し、トイレットペーパー、アルコール消毒剤と、物不足が続いています。
各地でデマに釣られないように、との見解が出されているにもかかわらず、この勢いは止まりません。
オイルショックの時からそうですが、この傾向はなかなか止まることはありません。
我が家も例に漏れず、困惑する群衆の一つです。
しかも東北の大震災、北海道の大地震を経験しながら、この教訓を活かせておりません。
今回も残り少ないトイレットペーパーを、1人一回30センチね、とセコく節約しながら使うという憂き目にあっています。
一体なぜこうなるのか?もう一度世の中の仕組みを考えてみよう、とかみさんと検討してみました。
我が家なりの今後の対策と、今後このような事態でうろたえない方法について、考えてみました。
【推測】だれがなぜデマを流すのか
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聡明なかたは大体見当がついていることと思いますが、僕はまったくこの辺のことについて考えてきませんでした。
そもそも買い占めが起これば、世間的にたくさんの人が困ることが予想されるのに、なぜデマが流れるのか?デマを流して楽しい愉快犯がそんなにいるのだろうか?と思います。
よく考えるまで、僕は本気で愉快犯が沢山いると思っていたんです。
でもデマを流して意味がある人たち、よく考えたらまあまあいます。
つい最近まで、ここぞとばかりに高値でマスク、トイレットペーパー、アルコールが取引されました。いまでも普段の10倍や20倍で売られ、しかも取引が成立しています。
最近はお米や飲料水の買い占めも始まっています。
もし手持ちにこうした商品を山ほどもっていたら?今回のような理由で、少しの間だけ高く売れる機会が訪れたとしたら?
いや、こうした物不足パニックは、決して珍しいことではありません。意外とよく起こっています。だったら持ってる製品が高くなるように噂を流すとしたら?
となれば、どんな人たちががデマを流すのか?はなんとなく見当がつきそうです。水や米が芋づる式に物不足のようになるのも、わかるような気がします。
1.災害バブルという恐ろしい逆張り
不安は人間にはつきものです。その不安から逃れ、なんとか助かりたい、と思えば、他の人は差し置いてもなんとか助かりたいと思います。
これは人間の性ですので、仕方ありません。この時点で、多くのひとたちのために行動できる人など、そうそういません。
買い占めら人たちにも、正義があります。自分が助かりたいわけではなく、自分の家族や親戚を助けるために、ひと肌を脱いで買い占めるのです。
可愛い子供のためならと、世間の人々を出し抜いてでも、ちょっとくらい買い占めるでしょう。
けっしていいこととは思いませんが、それなりに情報強者の論理なのかもしれません。
それを上回って恐ろしいのは、こうした不安を煽る人達です。この人々にとってこうした社会現象は、彼らにとって願ってもないチャンスになるのでしょう。
流通は滞っていない、という真実をねじ曲げてでも、デマを流せば、不安に煽られた最初の情報強者が買い占めに回ります。
この買い占めが起こることを知っていて仕掛けるのです。当然自分達の分と売る分は潤沢に用意しています。
普段私たちは十分に安価で供給されているので、物不足の怖さに気づきません。
その間に、こうした危機に備えて、着々と準備しているとしたら?そしてこのような事態に、一挙にデマを流すとしたら?
世間は新型コロナウイルスを恨んでいるので、彼らの存在には気づかないでしょう。恐ろしい。やっぱり恐ろしいのは人間です。
2.とはいえ準備は必要
とはいえ、こうしたデマに対応できるのも、全体の数パーセントの情報強者のみです。ほとんどの人達は、我が家と同じく、高値のトイレットペーパーすら手に入れることはできません。
流通が確保された時の反省点としては、やはり準備は必要だということです。
準備するためのスペースがない、という話もかみさんから上がりました。我が家は決して広くなく、トイレットペーパーやお米、飲料水を備蓄しておくスペースがありません。
もしかすると安価なスペースに災害用の備品を備蓄しておくことは、とても大切なことなんじゃないか、と思いました。
そう考えると、やはりスペースが取れる田舎や地方暮らしが有利です。
こうしたところに住み、普段から備蓄しておくと、いざという時ストレスも少なくてすみそうです。
あとはレンタルスペースとかでしょうか。もし近所に実家などあり、空きスペースがあれば、この機会に備蓄することを検討するのも良いかも知れません。
3.配れる人は美しい
うちのかみさんには凄いところかあります。
東北大震災の4日前に震度4の地震が来たときに、もし大震災がきたら、水があった方が良い、と大量に水を備蓄し始めたことです。
いらないペットボトルに沢山水を貯め始めたときには馬鹿にしていましたが、まさか4日後にとてつもない震災がくるなんて、思ってもみませんでした。
その直感力に舌を巻いたものです。
しかし、それ以上に驚いたのは、このあとでした。この水の全てを、子供のいるご近所さんに全て配ってしまったのです。
それだけではなく、うちにあった冷凍食品の残りや毛布、とっておいた乾パンも全て人にあげてしまいました。
結局うちは、水不足、物不足に困ることになりました。
このときは、なんでそんなことを!と思いましたが、すぐにその考えはとんでもなく浅はかだったと思わされました。
こんなこと、そうそうできるものではありません。
渇きを訴えるお子さんにも、少し貢献できましたし、つらい避難所生活のなかでも、物資が届かないとくにつらい最初の数日、状況は緩和されました。
痛みを伴っても、人を助ける。本当の優しさの意味を、彼女は知っているのだと思います。
怖いのは人間ですが、さりとて優しいのも人間、本当の意味で己に厳しく他人に優しいとは、このことだと学ばされました。
煽るのも人間、買い占めるのも人間、それを高値で売るのも人間、どれも人間ならやりそうですし、仕方ないと思います。
ですが、配れる人間は美しい。僕も考えを改めたいと思いました。
まとめ なんにせよ準備が大切
ここまでの話を振り返ってみます。
1.災害バブルという恐ろしい逆張り
災害に備えて、準備をしている人々。デマを流せば、反応する情報強者。売買するのに役者はそろっています。情報弱者は右往左往するばかり。少なくともデマと買い占めはやめてほしい。
2.とはいえ準備は必要
こんな人々にやられないためには、普段からの備蓄が必要。と反省しきりの今回であります。
3.配れる人は美しい
でも、ウチのかみさんは、こんな状況でも、いや、こんな状況ならなおさら、持っていれば配ってしまいます。でも人間なら、こうありたいとも思ってしまうんです。
といったわけで、個人的な見解が強い記事になってしまいましたが、なんともない時こそ備える、これは大切です。高邁な精神を以下に語っても、配るほど持っていなければ、いざというときには人助けもできません。
今日、帰り日にコンビニで、箱のティッシュペーパーが4つ、売っていました。のどから手が出るほどちり紙系が欲しい我が家のトイレットペーパーはあと2つ。
ですが、とりあえず1つだけ買って帰りました。デマに惑わされず、いつもどおり必要な分だけ。
小さな抵抗をしてみました。
コロナ騒動が終わるのは、いつの日か
素晴らしい奥さんですね。素晴らしい事だとわかっていても中々実際の状況になれば見習えないものですから。奥さん大事にしてあげてください。
ピコパパさん コメントありがとうございます。
そうですね。大事にしないとですね。改めて感謝を伝えます