さよならTさん。最期のお別れ。思い出やメッセージ

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太く短い人生、Tさんらしく去って行ってしまいましたね

早期退職してはや11ヶ月が過ぎました。前職の人達とはほぼ無縁となりましたが、衝撃のニュースが入りました。

 

お世話になったTさんが突然亡くなってしまったのです。

 

僕がうつ病から復帰してからおよそ10年の付き合いでしたが、職場でもっとも交流し、もっとも励ましてくれたのがTさんでした。

 

ちょっとキャラ的にはキワモノで、強烈な方でしたが、僕はビジネスのこと、人間関係のこと、うつ病のことなど、いろいろなことを教わりました。

 

もともと心臓が悪く、ペースメーカーが身体に入っていた方でしたが、結局死因は脳卒中だったそうで。

 

まだ辞めてから何の報告もしてなかったのに、63歳の若さで、逝ってしまったのです。早すぎるよ。Tさん。

 

目次

 

 お別れ前に、顔を見たくて


この記事はおよそ 8分52秒で読めます。


 

僕も意地を張っていたようなところもありましたが、ちょっと前職関係者との関係は希薄になっていて、お世話になったTさんも含め、いま自分が何をしているのかなんて、ちょっと言えないでいました。

 

しかし、突然の訃報。しかも、プログラム上、葬儀の日の朝に出棺し、葬儀にはもう身体は骨になってしまうとのこと。Tさんの地元は新幹線で一時間ちょっとのところ。

 

お通夜には仕事で間に合わないので、翌日早朝に新幹線に乗って、移動することにしました。

 

目覚ましはかけていましたが、前日の疲れと、あまり慣れない早朝5時起きに身体が反応せず、結局寝坊。あわててタクシーに乗り、いざ新幹線が出る駅へ。

 

意外と僕の地元から新幹線が出る駅までは遠く、結局1万2千円もかかってしまいました。それでもなんとか新幹線には間に合ったのでよしとしました。

 

「やっぱりおまえはだらしないなぁ」と、Tさんがあの世から笑い転げていそうです。

 

1.早すぎますよ!

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63歳の若さでした。もともと心臓が悪く、ペースメーカーを埋め込んでいたということでしたが、最期は脳出血だったそうです。

 

新しい治験での治療にチャレンジしており、その治療の打ち合わせに医師のところに行き、その5分後に急変してしまったとのこと。奥様とも満足に離すことなく、最期はあっという間に亡くなってしまったということでした。

 

ペースメーカーの件で、よく入院はされており、何度も見舞いには行っていました。だからTさんの入院はよくあることでしたが、まさか亡くなってしまうとは。

 

なんとも突然で、早すぎるお別れでした。Tさんは大きな後ろ姿を残して、さっさとこの世の舞台を引き上げてしまいました。

2.綺麗な顔で、何か安心

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葬祭場につくと、すぐにTさんのもとへ。家族ぐるみのお付き合い。会社人生で唯一と言えるくらい、家族同士でつきあいのあった先輩です。奥さんと二人のお嬢さんに挨拶し、棺へ。

 

Tさんの顔を棺のガラス越しにのぞき込みます。苦しんで亡くなったようではなく、きれいな顔で横たわっていました。

 

100キロ近くあった大きな体躯はとても小さくなっていました。ペースメーカーを最新のものに取り替えたら、循環が良くなって30キロほど痩せたんだとか。

 

Tさんと話したのは、会社を辞めて引っ越す日にもらった電話で、起業することを告げたのが最期でした。病床でも、会社を辞めた僕のその後については、気にされていたようでした。

 

僕はたいした報告もできず、毎日を必死に生活しているだけでしたが、こうなってしまってはその疎遠さがすこし悔やまれる気もします。

 

おもわず棺の前で、名前を呼びかけてしまいました。「遅かったじゃないか」にやにやしながら迎える、いつものにやけ顔が戻ってくるように思いました。

 

ですが、もうTさんは動きません。もはや真っ青な顔になって、ただ横たわるのみです。ぼくには、見送ることしかできません。

 

社会人として、会社人生や人生観、仕事のこと、夜遊び、人たらしの方法と、いろいろ教わりました。

 

Tさん、ホントにお疲れ様です。

3.感動した家族の愛

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「いろんなこと、教わりました」と奥様に言ったら

 

「ふふふ、へんなこと、ばっかりだったでしょ」と笑いながら言われました。出棺直前だというのに、動揺も無く、いつもの奥さんです。

 

「この棺、ちょっと特別な形してるでしょ。レクサスっていうらしいのよ。まーあの人らしいから、いいかなーなんて。」奥様は続けます。

 

「すごい名前ですね。それに宇宙船みたいな形してますね」僕はかえしました

 

「ふふふ、そうそう、ちょっと宇宙へおでかけって感じよね」そう奥様は言いました

 

その後、出棺前にお経があげられ、いよいよ火葬場へ出棺となります。Tさんにお花や思い出の品が手向けられました。僕も、Tさんに人生を変えてもらった感謝の手紙を添えてもらいました

 

いよいよ棺の蓋が閉められます。すると、奥様と二人のお嬢様はTさんに歩み寄り、頬にふれ、顔を近づけ、Tさんの顔を抱きかかえました。このときばかりは、明るく振る舞ってきた3人の眼にも、涙が光っていました。最期のお別れが告げられていました。

 

最期に奥様がTさんの耳元に「ありがとう」とささやき、蓋が閉められました。見ているこちらもこみ上げるものがあり、胸が締め付けられます。

 

家族に愛されていたTさん。人として、その最期の勇姿もとても素敵でした。

 

4.会社とTさんの関係、生き方に学んだ10年間

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いまから10年ほど前、Tさんが53歳のときに、僕はTさんと知り合いました。だから今の年齢くらいの時のTさんを知りません。

 

人づてには、経費も時間もうんと使って、派手な営業活動をしてたとか。本人も、当時の仕事の仕方で、知らないことなんてないくらいにやりきった。と豪語していました。

 

毎日豪快に飲んでまわり、そのツケも回ったのか、身体を壊し、心臓にペースメーカーを入れることになります。その後内勤となったのが、当時のTさんでした。

 

会社との関係は、正直あまり良くなかったと思います。豪快な営業スタイルから慣れない内勤に移りながらも、必死に働き、それでいて必死さを見せず、家族のために給料を稼いでいたんだと思います。

 

人の好き嫌いも多く、そのせいで社内にもアンチは多かったですが、僕はなぜかいろいろ教えてもらい、僕も頼っていました。

 

「いいか、人なんてな、全員に好かれようと思うんじゃない。3分の1がファン、3分の1が浮動票、3分の1がアンチ、これがベストのバランスだ」こんなことをよく言っていました。

 

「嫌な奴なんてな、相手にするとかしないとかじゃない。お前の人生に入れるな。」とも言っていました。

 

いま、この年になって、そのアドバイスが身にしみてきます。

 

5.ありがとうございました

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Tさんには、感謝しかありません。会社を辞めて起業することは、同期の二人と、Tさんにしか言いませんでした。退職後はできるだけ前職の会社に関わりたくなかったので、こちらからは一切連絡しませんでした。

 

辞める前までは頻繁に連絡していたTさんとも、その後は疎遠になっていました。

 

病床から僕の生活を案じていたというコメントを奥様から聞いて、おそらくTさんは、そんな僕の気持ちを知っていて、わざと僕に連絡してこなかったんじゃないかな、と思いました。

 

なにかそんな、人間臭い、粋なところがある先輩でした。いま天国から「そんなに意地になるなよ」「あんまり無理すんなよ、もともとそんなに優秀じゃないだろ」とニヤニヤしながらアドバイスを投げて来そうな気がしています。

 

まとめ お疲れ様でした。あなたの生き方は、最高でした

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ふりかえると、Tさんの人生の6分の1くらいにしか関わっていないですが、関われて良かったと思います。Tさんが好き嫌いの激しい、ちょっとキワモノの、極めて人間くさい人であったことで、僕も、自分の人生に人間らしさを取り戻せたような気がします。

 

僕の気持ちを振り返ると

 

1.早すぎますよ!

2.綺麗な顔で、何か安心

3.感動した家族の愛

4.会社とTさんの関係、生き方に学んだ10年間

5.ありがとうございました

 

という感じです。

 

さよなら、Tさん。あなたの大きな背中を、追い続けていきます。

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