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AI時代や5Gによる技術革新の到来で価値観が変わりつつある時代。黒字リストラで組織への忠誠も崩壊しつつありますし、なにより年功序列の思想は完全に崩れ去ってしまいました。
キャリアが長くても、まったくリスペクトされない時代です。後輩と先輩のあいだのリスペクトはなくなり、組織も、組織に役立つ人間にしか興味を示さなくなりました。人材は育てるものではなく、獲得するものに変わってきています。
もちろん、まだまだいい会社に行くのがいい人生なのは大多数が占めていますし、そのためにはいい学校にいかねばならない、という方程式も、まだまだ健在です。
これからの時代に備えて、僕ら親世代が知っている教育法は、自分たちの親たちの教育、つまり「勉強して、いい学校に行って、いい会社に行き、競争に勝つ」これがメインテーマとなっています
最近、僕はこの教育に疑問を持つようになってきました。自分の子供は、少なくともいい学校じゃなくても大学くらいまでは行くんだろうな、と思っていましたが、ちょっと風向きが変わってきた感じです。
目次
- 大学が幸せにしてくれるわけではない
- 1.ウチの子供だけは競争を勝ち残る、とも思えない
- 2.大学に行く意味が、狭くなってきた
- 3.良質な従業員・善良な社会人になるためだけなら、大学じゃなくてもいい
- まとめ 大学まではとりあえず、というくらいなら、行かない方がいい
目次
大学が幸せにしてくれるわけではない
僕らの親たちは、かなりの人達が大学に行っていました。かれらは学生運動なども経験し、大学が青春のど真ん中でした。そうして、ほとんどの人達が、高度成長期の日本企業に就職していきました。
多くが豊かな中流家庭となり、趣味や休暇を自分らしく過ごし、自分らしい幸せな人生をかみしめていたと思います。
僕らも、そうした親たちにならい、その教育も受けて、ほとんどが大学に行き、企業に入っています。
ですが社会構造は変わってしまいました。年金問題は根深く、5,6人でひとりの高齢者を支えていた時代は終わり、2人でひとりを支えるような社会になっています。
少子化問題は進行し、この年金問題はさらに加速することが予想されています。
そんななかで、給料は下がり、昇給は望めず、ボーナスはカット、そこへリストラ野の嵐。働く世代は年収250万円くらいが当たり前の家庭が中心となり、夫婦二人で働いてなんとか年収500万円くらいに届かせている。といった状況です。
ですがその苦労も、上がる年金と社会保障費で、税金がガンガン上がって、給料を渡される前に、かなり天引きされるようになってしまいました。
変わりつつある社会で、学びに変化のない社会人達を養成する大学に子供を送り込む。子供達ははたして幸せになれるのかと、僕は疑問が湧き出てしまったのです。
1.ウチの子供だけは競争を勝ち残る、とも思えない
目一杯頭がよくて、出世を勝ち残れるレベルになれば、そんな厳しい社会でも生き抜ける。だからこそ大学に行って、しっかり勉強して、これからの世の中をしっかり生き残って欲しい。
そう考えるのは親の心情というところですが、これだけ厳しい世の中になってくると、いい会社に入れるのかどうかも心配だし、勝ち抜くだけの実力が子供に備わるかも不安です。
第一少子化になって競争率が下がっていってるのに、競争のコアなところにいって、勝ち残ってこい、というのも変です。そうとしか言えないのだとしたら、親としてそんな幅の狭い教育は正しいのでしょうか。
2.大学に行く意味が、狭くなってきた
大学で受ける教育のメリットには、いろんな意味があると思いますが、優れた社会人を養成する、ということもあると思います。ですが、これからのAI時代は、まさに大学をでた学生がやるようなデスクワークをカバーできると言われています。
メール、査定、管理、定型書類の送信、計算などの繰り返しによる単純作業は、AIの方が天才的に優れています。
むしろ水道の配管工や工務店の技術者、職人などは、まだまだ代わられないといわれます。複雑な作業をできるロボットを作るのが大変だからです。
しかし少なくとも厳しい現実を見なければなりません。勉強を重ねて、やっとの思いで大学で養成されるような、会社で使えるデスクワークのスキルは、AIに取られてしまうのです。それも、5年後、長くても10年後くらいの、そう遠くない未来です。
この事実を目の前に、大学に行けと子供にすすめるのは、泥船に乗れと言っているようなものです。
3.良質な従業員・善良な社会人になるためだけなら、大学じゃなくてもいい
もちろん、情操教育の一環として、幅広い人間付き合いなどを育み、一生の友達をつくり、だれとでも分け隔て無く付き合えるオープンな人間形成をするんだったら、大学は向いています。
ですが、それだけで大学に行かせるのだったら、高額な授業料、ときには奨学金という借金まで背負ってまでいくのは、コスパが悪すぎるように思います。
ふつうの社会活動の中で、そのような情操教育は十分にできます。なにも大学の専売特許というわけでもありません。
子供の進路について、僕らは自分たちの親達のやり方をコピペしても、彼らを幸せにすることはできないんじゃないかと思えてしまいます
つまり、「普通は大学までは行く」という慣習についての向き合い方、新しい進路の決め方、子供に目的を持たせて鼓舞していく方法などは、僕ら親世代が子供達のために本気で考えて行かねばならないのでは?と思いました
まとめ 大学まではとりあえず、というくらいなら、行かない方がいい
1.ウチの子供だけは競争を勝ち残る、とも思えない
大学で主に学べるのは、これまでの社会に必要なデスクワークがメインです。変化する社会構造の中で、いくら競争力をつけても、これでは生き抜けない気がします
2.大学に行く意味が、狭くなってきた
職人や技師、起業家や投資家、芸術家、クリエイターなど、AIに取られにくい、人間らしい仕事もまだまだたくさんあります。ですが大学ではデスクワーカーを育てます。大学に行く価値は、本当に高いのでしょうか。僕が子供にやっている教育は、やがて淘汰されると分かっている仕事に就かせるためなのかもしれないと思うようになってきました。
3.良質な従業員・善良な社会人になるためだけなら、大学じゃなくてもいい
能力を磨く以外にも、もちろんたくさんの意味・価値・魅力が大学にはあります。ですが大学で学ぶことの本分に比べると、すこし弱いようにも思えます。大学までは行ってくれ、と子供に無理に学ばせるよりも、未来を生き抜く大人になるにはどんな進路があるのかを、子供に提供してあげるべきなのかも知れません。自分とはまったく違う進路になるかも知れませんが、どの進路で子供が幸せになれるのか、親も学ばなければいけないのかも知れません。
子供の進路を考えたら、自分の問題に跳ね返ってきてしまい、僕自身も困惑してきました。子供の努力を無駄にしないためにも、親も社会の変化を学び、広い指針を示してあげたいと思っています。