張らなくてもいい見栄を張ってしまって、気持ちもお金も損をしてしまった、ということ、ありませんか。
飲みの席での後輩への奢り、会社内のゴルフコンペの付き合い、隣近所との付き合い、奥さんのご両親への過度なお届け物、普段のスーツ、腕時計、私服、家族との外食など、あらゆるシーンで僕らには「ワンランク上」を楽しみたい機会が訪れます。
さらには、それをけしかける業者、お金を使わせたい先輩達、懇願してくる子供や奥さんなど、周りの人たちとの兼ね合いもまた、これに拍車をかけます。
自分がちょっと我慢すれば、もしくはここでちょっとお金を出せば、みんなに幸せが訪れる、と思って、大盤振る舞いしてしまう。これは優しい人であれば誰でもあることです。
でも、こうしたちょっとした出費で、あとあとになって、もっと肝心なときにお金がない、なんてことありませんか。「後悔先に立たず」とはまさにこのこと。お金というのは、手に入れるなら今すぐに、支払うならできるだけ延ばしたいですよね。
というわけで、気が弱い僕でもこの心理的な悪条件に耐え、見事に世間の白い目から逃れつつ、うまく蓄財していく方法を考えました。効果はどのくらいか分かりませんが、これを機会に「見栄」について一緒に考えてみませんか。
- 気の弱さと自分への甘さに悩む中年の散財
- 1.見栄を張ってる時の自分を確認する
- 2.見栄を張って支払っても、誰も幸せにならない
- 3.そんなことを気に病むくらいなら、無駄遣いをやめよう
- まとめ 見栄を貼るのをやめるだけで、精神的にも経済的にも楽になる
目次
気の弱さと自分への甘さに悩む中年の散財
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なにも、ケチになれ、といっているわけではありません。人間使うときにはやはりしっかりとお金は使いたいもの。なにしろ、お金自体は、幸せをつかむための有効なツールな訳ですから。
でも、世間の荒波を乗り越える中では、やむなく散財してしまうこともありますよね。それがなぜだか分かっていれば、こっちだってやらないのに。と思いつつ、中年にもなれば、先輩や上司に飲みに誘われれば付き合ったり、かわいい子供にせがまれればちょっといいおもちゃやかわいい服を買ってあげることも。
しかもそれは、べつに犯罪でも何でもなく、むしろいいことにも見えます。身銭を切って、人に尽くす。なんていじらしい、人間的な姿でしょう。友人に相談があると言われれば、一緒に飲みに行って奢ってあげたり、とくに親しい人でもないのに、仕事の同僚から悩みがあると言われれば、やはり付き合い酒をしたり。
しかし、全部に付き合っていたら、給料が右肩上がり出ない限り、絶対に限界が来てしまいます。会社のバーベキュー大会、ゴルフコンペ、労働組合の研修会と懇親会、父母会の懇親会など、ありとあらゆるところで、罠のようにお金を使わせる機会は巡ってきます。
なぜ仕事で信頼を深めないのか、組合の時間内で問題を検討しないのか、父母会そのものの中で仲良くならないのかは謎ですが、とにかく日本人は懇親会が好きですし、なんとなくそれに参加しないといけない気持ちになるものです。
なんとなく参加した結果、なんとない金額じゃない額のお金が財布から逃げていく、となると、やはり問題です。あなたを幸せにしない会にいやいや出席した上に、お金がなくなるわけですから、これは全く幸せになれません。
また、奥さんや子供にいいところをみせたいという理由だけで散財していいところに外食に行って、あとになって金欠で困るのでは、何のための人生なんでしょう。
そこで、自分のこころと向き合うための方法を考えましたので、一緒に確認してみましょう。なにかヒントになるかも知れませんよ
1.見栄を張ってる時の自分を確認する
いやいや飲み会に行くにせよ、かわいい後輩や子供にいいところを見せたいにせよ、こういう心理でお金を使っている限り、それは「見栄」であることを自覚しなければいけません。いくら社会のため、後輩のため、子供のため、などといっても、これは苦しい言い訳になるでしょう。
お金は、結構便利なものですので、これを使うことで、自分の気持ちを隠すこともできますし、偽ることもできてしまいます。
おそらく誰だって、自分と周りを幸せにするために、お金は使いたいものでしょう。たとえば料理人が一生懸命働いて、お気に入りの包丁を手に入れるとします。包丁を作った人は、そんな一生懸命な料理人に包丁を買われることで、自分の苦労も報われて、嬉しくなるわけです。
買う人と売る人、お金を使う人と使われる人、その双方が豊かな気持ちになる、もしくは実際に豊かになってしまう、これがお金の気持ちの良い使い方なんだろうと思います。
では、見栄を張っているときはどうでしょうか。
お子さんを前に、いい格好したい、いい父親でありたいと思えば、やはりおもちゃは買ってあげてしまうでしょう。奥さんにせがまれて、やむなしと思えば、宝石も買ってしまうかも知れません。でも、あなたは幸せになっているでしょうか。
いやいやな飲み会への参加は、いうまでもありません。あなたの上司や先輩、得意先は、あなたに参加費を払わせる上に、気持ちよく飲める。しかしあなたは気を遣うばかりです。
また、過度なお届け物を買うためにお金を使うときも、あなたは幸せになるでしょうか。
なんだか、気を遣いすぎているあなたしか見えてきません。あなたが我慢している姿。それが見栄を張っている姿の正体とも言えるでしょう。この気持ちを受け止め、理解することが、散財を止める一つの道なんだと思います
2.見栄を張って支払っても、誰も幸せにならない
でも、コンペや飲み会の付き合いに参加しないのは、なんとなく気が引ける、みんなもやっているのに、自分だけ参加しないなんて、恥ずかしいという気持ちもあるかも知れませんね
また、後輩に全然奢らない先輩なんて、または上司なんて、かっこわるい。という気持ちもあるでしょう。
それはたしかに一理あるかも知れません。ただ、こうした気持ちでお金を使うのは、誰も幸せになりません。支払われる側、お金を使わせる側は、使わせるための理由があるのです。販売ノルマに追われている、飲み会に人を集めたい、コンペの人数が足りない、など、だいたい個人的な、打算的な理由が有ります。
こうしたところに見栄を張って、あなたがお金を使ったからといって、恩を感じる人は全くいませんし、仕掛ける側の人たちは、相手が気を遣ってくれたかどうかは関係なく、自分の仕掛けたイベントにはまったうちの一人だとしか思わないので、何の感謝もありません。
結局、支払うあなたも、支払われる相手も、どちらも幸せにならないのです。
3.そんなことを気に病むくらいなら、無駄遣いをやめよう
とにかく、日本人は気を遣う民族です。でも、気を遣うのにお金を絡めるのは、だれも幸せになれません。自分がいい思いをしたい、にしても、相手につれないやつだと思われたくない、にしても、そうやって気を遣ってお金まで払った結果、得られるものは何もありません。
気を遣い、時間を使い、お金を使って、得られるものがゼロ。せいぜい、「つれない奴」という意地の悪いレッテルから逃れることができたという、さみしい守りの気持ちだけが確立されるのです。
守りの気持ちは、更なる守りの気持ちを生みますから、さらに見栄を張る方向に進みます。そうしたら、さらに自分の意思と反対の方向にお金も人生も使ってしまうことになるのです。そんな人生を送るために、あなたはお金を使っているつもりもないでしょう。
こんなことからは、速く逃げるのが勝ちです。見栄を張らなければ、散財は止まります。無駄な飲み会も、ねだられるままに買ってしまうおもちゃも、いい車も、かっこいい服も、無駄に大きな家も、あなたを幸せにしないことに気づくべきです。
使わなかったお金で、あなたのお金をさらに増やすための本を買い、資産を買い、時間を買うべく便利な道具を買えばよいのです。そうすればさらにお金は増えますし、あなた自身にとっても不毛な時間は減るでしょう。
お金が増えれば、見栄を張る必要もなくなります。そうなったら、本当に使わなくてすむようになるのです。
まとめ 見栄を貼るのをやめるだけで、精神的にも経済的にも楽になる
周りの人に良く思われたい。ここでちょっと自分が我慢してお金を使えば、いい人だと思われるはずだ。こんな理由でお金を使うべきではありません。以下にもう一度、3つのポイントをまとめていきます
1.見栄を張ってる時の自分を確認する
あなたの自尊心に訴えて、お金を使わせようとするシーンはたくさんあります。まずはそういうシーンに日々見舞われていることに気づくことです。
2.見栄を張って支払っても、誰も幸せにならない
お金を使うことで、相手が幸せになるなら、と思うことは多々あるでしょう。しかしあなたとあなたの相手の両方を幸せにしないのなら、お金を使っても、だれも幸せにはならないこともよく知っておかねばなりません。
3.そんなことを気に病むくらいなら、無駄遣いをやめよう
だれだって、いい人だと思われたいし、お金を使うことは手っ取り早くそう思われそうな方法です。しかし、気を遣うということにおいて、お金を絡めるのはだれも幸せにはしません。それだったら、いずれ来るいざというときに備えて、蓄財し、自分への投資に使うことで、さらにお金を増やしましょう。
4000字近くも使ってしまいましたが、とにかく、気とお金はセットで遣うべきではありません。気を遣うなら、気持ちを行動にして表現するよう、知恵を絞るべきです。その方が、あなたも相手も幸せになれると思います。
ぼくはとにかく、こんな考え方で、見栄を張らずして精神的、経済的に解放されていきたいと思っています。まだ道半ばではありますが。これまた日々挑戦です。
もちろん今回のこの考え方がすべてだとは言えないと思います。ですので、あなたなりの見栄を張らない方法を決め、実践することで、あなた自身が経済的にも精神的にも豊かになることを願っています。