この記事はおよそ 4分58秒で読めます。
あなたは、今早期退職しようか、悩んでいますか。
もしかすると、会社が人員削減の流れだったり、仕事内容が窮屈になってきて、自分に合わなくなってきたりしているかもしれませんね
でも、家族を露頭に迷わせたくないし、転職して一から仕事覚えるのも大変そうだし、とためらっているかもしれません。
僕も、一年前、あなたと同じ気持ちでした。
で、結局早期退職して、今に至ります。
毎日は楽ではないけど、会社にいた時よりはマシかな、と思っています。
今回はそんな僕の気持ちの動きを書いておきたいと思います
1.募る不安と不満
もともと、会社生活には、限界を感じていました。
42歳でした。31歳のときにうつ病の診断を受けて、薬を飲みながらの勤務でした。
営業15年やりました。ですがだんだんコンプライアンスが厳しくなるなか、自動車の運転注意薬を飲んでいる社員は、車に乗せられないとのことで、営業からは外されました。
この辺りから、厳しい会社生活だったな、と思います。
その後は調査部や、総務一般、事務一般、学術などもやりました。
3年半、転々と色々な仕事をしましたが、モノにならず、自分なりに必死に取り組みましたが、毎日辛いままでした。
薬の量も、種類も、増えていきました。もう、うつ病自体は治らないとも言われました。(いまは、うつ病の薬は飲まなくてよくなりましたが。環境や診断で、大分変わると思います)
キャリアを開けない自分に、不安と不満を抱いていました
2.早期退職の勧奨
会社の仕事内容や仕組みが、自分と合わなくなっているな、とか、同僚の能力が高すぎて噛み合わないな、とおもっていました。
そこにやってきた早期退職の話題と、退職のすすめ。
上司の言い方は取り立てて厳しくはありませんでしたが、辞めて欲しいという思いがとても伝わってきました。
会社も、変革の時でした。成果の出せない社員は抱えられない。それは毎週のように朝礼で言われていました。
とても悩みました。
この会社しか、知らなかったし、もちろん業界も。
給料もいい会社でしたので、このレールから外れることは天国から地獄に突き落とされるように思えました。
自分なりに、会社には忠誠を誓って仕事してきたつもりでしたが、成果を出せていないことは感じていました。
でもせめてもう少しだけ、子供が高校でるまでのあと5、6年くらいは粘りたい、そう思っていました
まだ42歳だし、50歳位まではなんとか、という気持ちでした。
しかし届きませんでした。
3.家族の反応
病気で営業も出来ず、内勤もミスばかり。
会社からしてみれば、退職をすすめる対象者となったのは、当たり前の選択だったかもしれません
しかしカミさんに相談したら、なんとか残って欲しいと言われました
子供も中学生、我が家に余裕はありませんでした。
子供たちは、まだ僕らの経済状況をよく分かっていませんでした。それに退職でどうなってしまうかも、多分分からなかったと思います
母は亡くなったばかりで、父はいましたが、昔の典型的な高度経済成長期の社員という感じで、当然受け入れられるわけもなく、報告もしませんでした。
4受けてみたコーチング
この時、僕は友人が始めたコーチングを受けていました。
コーチングとは、相談者の心の声を明らかにしながら、人生やキャリアのゴールを設定し、そこを一緒に目指していくためのカウンセリングです。
仕事に行き詰まっていたので、何か解決したいと思い、受け始めていたのです。
最初は、仕事の悩みに突破口を開きたいなぁと思って恥じめたんですが、だんだんとコーチングを受けていくうちに、自分のやりたいことは、何なんだろうと思うようになっていました
もちろん、苦しい生活かあ抜け出したい。そして、自分なりの人生を謳歌したい
これは誰でも思うことかもしれません。でも、本当にそのためにいま行動してるんだろうか。と心配になってきました。いまの会社で、今のポジションで、それは本当にかなうのだろうか。
世界中に、ひとつづつ家を建てて、好きなときに、好きなところで暮らしたい。これがコーチングを受けて僕が至った自分の心の声でした。
その望みのために、一生懸命仕事して、すこしでも豊かになりたいと思っていました。ですが、豊かさはおろか、好きなときに、好きなところで生活する準備も、方向性も、何もなかったのです。
今回はここまでです。次回以降はついに辞めると決意するに至った経緯を書きたいと思います